どもりはいづればれる

どもりはいづればれる

どもりで会社辞めるまで続けるブログ

モンスターハンターの映画でこれだけは言いたい

 

 

英雄の証が流れなかったのはどうして?!?!?

 

 

モンスターハンターの魅力の半分は音楽でできている。

あの壮大な世界観を見事に表現したテーマ曲の数々、その全てが映画内で流れなかったとしても、あの「英雄の証」だけは流れるはずだと誰もが期待していたはずだ。

それなのに作中でモンハンの音楽が流れることはなかった。

僕はエンドロールが流れている最中でさえもあきらめなかった。

最後の最後で英雄の証さえ流してくれたなら、ストーリーや世界観の不満点も少しは目をつぶろう。

そう思っていたのに、、、なんだったんだあれは。

 

 

モンスターハンター」というゲームがなぜヒットしたのか、それはドラゴンなど架空の生き物が実際に生息しているかのようにリアリティを持たせたからだ。

と僕は思っている。

ゲーム内でも、モンスターが草食動物を捕食したり疲れて休んだりすることがあるように、モンスターも人間もそこに生けるものとして表現されている。

弱肉強食とか自然の摂理をテーマに世界観が構成されているのだ。

 

しかし映画ではそうではない。

人間を殺すために行動するような悪の化身としてモンスターは描かれている。

特にリオレウス。塔の守護者で不死の竜て(笑)

どうやら監督はモンスターハンターの世界観を再現するより、アメリカ映画でよくあるモンスターパニック系の映画をモンハンのモンスターを使ってやりたかったみたいだ。

別に異世界転生も近代兵器もあってもいい。

ただ、表現されるべきことが表現されていなかった。それが残念だ。

 

映像は確かにきれいで迫力のあるものだった。

けど、ストーリーは、、、うーんと言わざるを得ない。

とにかく主人公が不憫すぎる。

仲間を早々に皆殺しにされ、モンハンの世界の人間にもひどい仕打ちを受ける。

なにより、よく吹っ飛ばされる。

車の中で吹っ飛ばされ、

モンスターに吹っ飛ばされ、

トニージャーに吹っ飛ばされ、

ヘリの中で吹っ飛ばされ、

ミラジョボビッチがただのかわいそうな人にしか見えない。

 

僕はプレステ2の頃から「モンスターハンター」の大ファンで、映画が作成されるということを聞いてから絶対見ようと決めていた。

映画館に行く最中にもモンハンの音楽を口ずさんだりしてさ。

それがこの仕打ちだよ。

 

 

もし僕が映画の製作者だったら

 

異世界転生など導入部分は開始早々20分くらいで済ませて、まずは複数のランポスに囲まれる所からだ。

そして、その世界の住人に助けられ、龍の卵を運ぶのを手伝うことになる。

その最中でリオレウスに見つかり、命からがら村にたどり着く。

村では歓迎されて、ハンターになることを決意し、特訓する。

そして、初めての狩りで再度リオレウスに出会い対峙するところでモンハンのテーマ曲である「英雄の証」が流れるのだ。

 

これぞモンスターハンター

 

そして、無事リオレウスを狩り終え、村に帰還する。

すると元の世界に戻るには砂漠の塔に行く必要があるということを聞く。

しかしその砂漠にはディアブロスが生息しており、近づくことができない。

腕利きのハンターたちと主人公でディアブロスを討伐しに行く。

無事討伐し、塔にたどり着くと、とある龍のうろこを発見する。

それは伝説上にしか存在しないはずのクシャルダオラのうろこだった、、、

みたいな感じで作り直してくれないかな。無理?

弱音を吐きたい

今日は少しやらかしてしまった。

 

「と」から始まる単語がなかなか出てきてくれず、結局出てこないままだった。

変な奴だと思われたかもしれない、、

 

はぁ

 

ひきずるんだよなあこういうの。

帰った後もこのことばっかり思い出す。

 

今のところ仕事での失敗はない。なので職場でのストレスは無いに等しいのだけど、それでもこれだけの精神的苦痛を受けてしまう。

こんなんで本当に大丈夫なんだろうか。

 

「どもりの人」と一口で言っても「程度」の差が存在する。

軽めの人はこれしきの事で弱音は吐けないと思ってるかもしれないけど、重い人にはやっぱりつらい。

何事も甘えや自己責任で済ませてしまうこの日本で育っている以上、どもりの人同士でも「甘えてはいけない」と主張する人が出てきそうだ。

 

でも僕はもっとこのつらさを主張していいと思う。

それで誰も手を差し伸べてくれなくても構わない。

ただ黙って耐えることがつらくなって、

それでこのブログを始めたんだった。

 

高橋まつりさんのように強くはなれない

まつりさんが自殺して、もう5年くらい経つだろうか。

当時のはてなブログでもこの件について取り上げていた人が多くいたことを今でも覚えている。

東大まで出て、ルックスが良くても勤め先の上司次第ではこのような結末を迎えてしまうとは

まさに就活とは自分の人生をかけたギャンブルであり、運が悪ければ学歴は何の意味もなさないんだなと思った。

今更になってこの話をしようと思ったのは今の勤め先の先輩社員と環境が似ているからだ。

 

まつりさんが死ぬ前にネットに書き込んだ

”休日返上で作った資料をぼろくそに言われた”

とか

”2日徹夜した”

といった書き込みはまんま僕の先輩社員にも当てはまる。

違う点があるとするなら僕の先輩社員は結婚して子供がいるということだ。

まだ小さい我が子に会いたいけど会えない苦しさは、見ている側がつらくなってしまうほどだ。

僕が勤めている田舎の会社でさえそうなんだから、この日本ではまつりさんが経験したような事は、特別ではないのかもしれない。

 

僕は入社してまだ間もないのでそれほど厳しい状況ではないが、先輩と同じ環境に耐えている自分が想像できない。

頑張っても数か月しかもたないことが目に見えている。

どもりがバレたら退職するぞ!と意気込んでいたが、それ以前に終わってしまいそうな気がする、、、なさけない話だけど。

 

今しみじみと思うことは、新卒の若い女性がこの「特別ではないありふれた環境」に耐えることは到底できないだろうな、ということ。

それは努力家で親孝行なまつりさんでさえも例外ではなかった。

 

 

ドナルド・トランプとSMAP

恥ずかしい話なんだけど、大統領に当選するまでドナルド・トランプを全く知らなかった。

だからテレビや雑誌がこぞってトランプを批判していたのは不思議だったし、実を言うと今もはっきりしたことはわからない。

ただアメリカの医療制度崩壊なんかのニュースを見ていると、アメリカがすでに限界であることはわかった。

きっと、何もかもが権力者のいいように動いていて、アメリカ人は何とかして変えたいと思っていたのだろう。

その気持ちがトランプを大統領に当選させたのかもしれない。

 

僕は(多くの日本人がそうかもしれないが)アメリカの大統領選に全くと言っていいほど興味はない。

ただ、このグローバル社会でアメリカの変化が何らかの形で日本に影響を与えるのではないか?とは思っていた。

その変化はリーマンショックのような直接的なものではなく、人々の心にじわじわと影響を与えていくような、気づいたときにはすでに浸透しているような、そのような変化だ。

問題はそれがいつ、どういった形で表面化するのか、だった。

 

トランプ氏の当選からあまりたたずに、SMAPが解散したわけだけど、僕はこれこそが日本人の変化が表面化した瞬間ではないかと思った。

当時のはてなブログSMAPのマネージャーだったと思われる人が匿名で記事を投稿したことがある。

それによると、日本人の考えが徐々に変わってきたと書いてあった。それまで通用していたことが通用しなくなったと。

思えばこれがはてなブログを読むきっかけだったなあ、、、

 

まあトランプの当選とSMAPの解散を結び付けているのなんて僕くらいだと思うけど、それまでのニュースは大したことなくて退屈すぎるくらいだったのに、今はあまりにも大きな出来事が多すぎる。

特にテレビ業界では、ジャニーズと吉本芸人という影響力のある組織で相次ぐ脱退が起きている。

youtubeが影響しているのなら、ジャニーズを脱退した人達がもっと活躍していてもいいはずだ。

やはり、大きな変化がこの世界で起きている。それがわかってもどのように行動したらいいのかわからないんだけどさ。

入社して2か月がたった。

何とかここまで来たといった感じだ。

 

幸いなことにどもりはまだばれていない。

言葉が出なくて苦しい思いをすることもあるが、今までの社会人経験の中では断トツで良い状態を保ってきている。

 

入社した当初、とりあえず一か月だった目標が今では3か月に変わった。

しかし油断はできない。本番はここからだ。

仕事の難易度が少しずつ上がり、上司の言葉もきつくなってきた。

時間も徐々に無くなり、家に帰ってからの気力もない。

おかげで今までコンスタントに投稿してきたのに急に文章を書くのが苦痛になってきた。

 

最初のころはとにかくどもりの苦痛を書いて、精神的にプラスになればという思いだったのだけど、一通り書き終わると熱意が冷めてしまったみたいだ。

 

最近のルーティンで、仕事終わりにコンビニに寄るんだけど、昔はお手拭き下さい。ということが言えなかった。

「お」が出ないなら「て」からはじめて、手拭き下さいと言おうとするんだけど、今度は「て」が出ない。

両方とも苦手とする発音だ。

 

しかし、最近はお手拭きという言葉が結構すんなり出てくれる。

この状態のまま今後もやっていけたらと思う。

どどど童貞ちゃうわ

ごめんなさい嘘つきました。僕は童貞です。

 

年齢は30歳を過ぎていますが、女の人と交際した経験がありませんし、キスはおろか手をつないだこともありません。でもこれは仕方ないんです。僕がどもりであることが原因です。

 

僕はこのブログで、どもりの人が話をするときに感じている苦痛について結構書いてきましたが、実は話をしていなくても誰かと一緒にいることにストレスを感じてしまうんです。

 

話しかけようにもスムーズに声が出てくれないし、黙っていたら黙っていたで暗い人だと思われるし、相手から話しかけられたとしても、うまく言葉が出てこずに口を開いたまんま苦しそうな顔を披露してしまうかもしれない。それで(あ、この人障害者だ!)って顔をされるのがつらいんですね。

 

コミュニケーションという言葉が話をしている最中だけでなく、「他人とのふれあい」全般を示しているのなら、どもりはこのコミュニケーション自体に拒否反応を示して、回避させようとします。

 

なので恋人はおろか同性の友達すらいません。作ろうとも思いません。楽な方に楽な方にと生きてきた結果、童貞のままここまで来てしまいました。でも後悔とかはないし、一人で生活するのもいいものです。

 

さて、この「どどど童貞ちゃうわ」という言葉。ネタとして書き込まれているのをよく見ますが、れっきとしたどもりなんですね。

 

書き込んでいる人はどもりを意識していないと思います。あせって言葉を出そうとして「噛んでいる」状態だと思ってる。このような描写は漫画とかでもよく見ますよね。異性に告白するときに「すすす好きです」と言ったりするシーンとかもまさにそうです。

 

自分の思っていることを的確に伝えようと思う反面(本当にこれを言って大丈夫か?)という不安や動揺がどもりを誘発させてるんですね。どもりを経験したことがない普通の人なら「噛む」という状態と勘違いしてしまうかもしれません。

 

どもりはあなたの身近な所にあります。

 

ひょっとしたら、知らず知らずのうちにどもりを経験しているかもしれません。そしてある日ふと昔のどもった経験を思い出して、嫌な気持ちになるかもしれません。

 

どもりの人は、ただ「話をする」というだけでどもりの心理状態になります。そして、話始める前、話してる最中は常に緊張しっぱなしです。どもってしまった時はその記憶が精神を追い込みます。

 

それを毎日毎日、口を開くたびに経験しています。

突然罵声が口から飛び出る現象

前回の記事でyoutuberについて書いたけど、かつどんちゃんねるで印象に残ってることを書こうと思う。

 

かつどんが何か作業している最中に、急に手を止めたかと思うと、自分のおでこをつめでひっかくシーンがある。

 

手を止める瞬間にちょっと目を閉じるんだけど、昔の嫌なことでも思い出したんだろうなと推測する。

 

実は僕もそのようなことがよくある。自分のおでこをひっかくことはしない代わりに、「くそがっ!!」とか「死ねっ!!」とか、自分でその声に驚くくらいの大きさでさけんでしまう。

 

こういったことが起こるとき、たいてい昔のことを頭の中で思い描いている。頭の中でもゆっくりと時間が流れていて、やって後悔したことや言って後悔したことなど思い出した瞬間には声が出てる感じだ。

 

「だめっ!!」とかもある。

 

起こりえなかったことを妄想してる時にもこのようになることがある。たとえば自分がテレビに出てる妄想とか。

 

自分でもよくわからない番組にコメンテイターとして出てて、他の有名人とかと軽快に意見を交わしている。そんな流れの中でウケを狙おうとして全く面白くないことを言ってしまった時、現実世界で大声を発してしまっている。

 

これが家の中だったらまだいいんだけど、外とかでもとっさに叫んでしまうことがある。そんなときは、はっとして前を確認する。急に「死ねっ!」とか言ってるので他人がいたら殴られても文句は言えない。

 

テレビに出たい欲求とか全くないから不思議だ。

 

この現象にも波があって、今は少し落ち着いているけど、2年前は結構すごかった。原付に乗っている最中に大声が出てしまい、歩道にいた人がビックリしてこっちを見たことがある。

 

原付って結構音が出るから、それに負けない声を外で発していたということになる。

 

心に余裕があるということなのかもしれない。仕事で失敗して怒られたら、妄想の世界に行く気力も出ないだろう。